2007年1月25日木曜日

学ばれない教訓

もう昨年の暮れの話になるが、ある日の「ニュース23」の特集テーマは「学ばれない教訓」だった。 いじめが元で娘が自殺してしまった父親のその後の活動を追いながら、いじめによる自殺が相次ぐ現在を告発しようというのがその趣旨だった。 問題意識に満ちた特集ではあった。 しかしぼくは、その...
2006年11月15日水曜日

文化が教育にもたらすもの

頭のよい子が育つ家 四十万 靖 渡辺 朗子 日経BP社 2006-08-10 売り上げランキング : 2707 Amazonで詳しく見る by G-Tools この本によると、「できる子どもは、子ども部屋では勉強しない」らしい。 むしろできる子どもの勉強の場は...
2006年4月27日木曜日

行動を評価するということ

「成果」を出す主体が個人からチームへと移りつつある中で、会社における評価が難しくなりつつある。 評価の対象はあいかわらず個人であるのに(ボーナスや昇格の査定のことを考えるとこの点は今後も変わらないだろう)、成果の主体はチームであるという訳だから、なかなか一筋縄ではいかない。 先...
2006年4月21日金曜日

消えてゆく個人と評価

「個人」というものがやがて消滅していく運命にあるとしたら、いわゆる「評価」という奴はどう変わっていくのだろう。 評価は企業でも学校でも行われているが、その対象は基本的に「個人」であると考えられる。 「個人」は、評価を与えられることによってますますその輪郭を鮮明にする。評価が客観...
2006年4月7日金曜日

通知表の価値とは

あるサイトで、学校の通知表とその存在価値、評価の客観性をめぐる議論があった。 そこでも書いたことだが、重要な論点を含んでいるので、ここに再掲する。 評価をめぐる言説においていつも気になるのは、視点をあまりにも「個」にフォーカスしすぎてはいないか、ということだ。 数年前に会社の...
2006年2月7日火曜日

統計とクオリアと社会政策

教育という見地からものを語ろうとすると、どうしても進歩主義的な論調になる。 世界の捉え方に上下関係を持ち込み、上を(先を)目指そうという話になる。 たぶんそれが教育の本質なのだ。 教育という概念そのものが、進歩主義と切っても切り離せないものなのだろう。 「捨てる技術」でも知ら...
2005年12月29日木曜日

学校選択制について

「教育界に新風を」という抽象論からスタートして制度論を考えていくと、ひとつの方法論として学校選択制が浮かび上がってきます。 しかし、「教育=文化」論の見地から考えるなら、学校選択制は地域文化を破壊する方向にはたらくのではないかという懸念があります。 子どもの頃を思い返してみると...