2006年11月15日水曜日
文化が教育にもたらすもの
頭のよい子が育つ家 四十万 靖 渡辺 朗子 日経BP社 2006-08-10 売り上げランキング : 2707 Amazonで詳しく見る by G-Tools この本によると、「できる子どもは、子ども部屋では勉強しない」らしい。 むしろできる子どもの勉強の場は...
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教育=文化論
2006年4月27日木曜日
行動を評価するということ
「成果」を出す主体が個人からチームへと移りつつある中で、会社における評価が難しくなりつつある。 評価の対象はあいかわらず個人であるのに(ボーナスや昇格の査定のことを考えるとこの点は今後も変わらないだろう)、成果の主体はチームであるという訳だから、なかなか一筋縄ではいかない。 先...
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結果よりも行動に眼を向ける,
個人よりも行動に眼を向ける,
行動評価,
人を育てるということ,
人を評価するということ
2006年4月21日金曜日
消えてゆく個人と評価
「個人」というものがやがて消滅していく運命にあるとしたら、いわゆる「評価」という奴はどう変わっていくのだろう。 評価は企業でも学校でも行われているが、その対象は基本的に「個人」であると考えられる。 「個人」は、評価を与えられることによってますますその輪郭を鮮明にする。評価が客観...
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個人よりも関係に眼を向ける,
人を評価するということ
2006年4月7日金曜日
通知表の価値とは
あるサイトで、学校の通知表とその存在価値、評価の客観性をめぐる議論があった。 そこでも書いたことだが、重要な論点を含んでいるので、ここに再掲する。 評価をめぐる言説においていつも気になるのは、視点をあまりにも「個」にフォーカスしすぎてはいないか、ということだ。 数年前に会社の...
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結果よりも行動に眼を向ける,
行動評価,
人を評価するということ
2006年2月7日火曜日
統計とクオリアと社会政策
教育という見地からものを語ろうとすると、どうしても進歩主義的な論調になる。 世界の捉え方に上下関係を持ち込み、上を(先を)目指そうという話になる。 たぶんそれが教育の本質なのだ。 教育という概念そのものが、進歩主義と切っても切り離せないものなのだろう。 「捨てる技術」でも知ら...
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クオリア
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