頭のよい子が育つ家
四十万 靖 渡辺 朗子
日経BP社 2006-08-10
売り上げランキング : 2707
Amazonで詳しく見る by G-Tools
この本によると、「できる子どもは、子ども部屋では勉強しない」らしい。
むしろできる子どもの勉強の場は、リビングやダイニングなのだという。
受験生を持つ数百の家庭を調査した結果だ。
昔なつかしい「ちゃぶ台」での勉強風景は今なお生き続けており、そうした場で家族との対話を続けながら勉強した子どもたちが成績を伸ばしていくということらしい。
よく「親の学歴と子どもの成績は比例する」という。
だが、それは「学歴が高い親は所得も高く、所得が高い親は子どもに多額の教育費をかけられるから」というような単純な経済的条件によるものではなく、むしろ上の調査結果に見るような文化的条件によるところが大きいのではないだろうか。
つまり(ぼくの推測だが)、学歴の高い親は子どもとのコミュニケーションを大事にする傾向があり、そのことが子どもの頭を耕す結果につながっているのではないかというわけだ。
それは十分あり得ることだ。生まれ落ちた赤ん坊は周囲の環境に働きかけることで世界を知り、その相互作用の中で理解を深めていくのだとすれば。
子どもにとって、人とのコミュニケーションこそ最もインタラクティブな世界理解の方法であり、最上の学びの場であるというわけだ。
こんな風に考える方が好ましいと思えるのは、文化的条件の方が経済的条件に比べて制約としては緩いと思われるからだ。
つまり、経済的な条件を努力によって変えることには困難が伴うが、文化的条件の方は必ずしも学歴によって完全に規定されるものではないと思えるからだ。
つまり、チャンスは常にある。
こうした考え方は、以前に提唱した「教育=文化論」ともつながってくる。
教育を手段・手法において論じるのではなく、「場」において論じること。
何もかもが(人間も社会も家族さえも!)機能論に陥っていく中で、そうした視点を持つことが重要だと思える。