「進歩主義」に対して、私たちが目指すべきなのは、「臨床」という姿勢ではないでしょうか。
たとえば、病人を前にした医者は、決して「人体はこうあるべき」などという理想論をぶったりはしません。ただ病状を調べ、最適な治療方法を考え、実行します。
それは、必ずしもうまくいくとは限りません。四方八方手を尽くしてやっと治ることもあれば、ついに治らないこともあります。
それは、常に現実との格闘であると言えます。
ここで、次のような議論が出てくるかも知れません。
臨床の姿勢は往々にして対症療法になるのではないか、と。
よく言われるように、病気というものは症状そのものに問題があるわけではありません。
風邪をひいて熱が出るのは、免疫システムがうまく働いている証拠だし、それをただ下げてしまったら、治る風邪も治りません。
解熱剤とは、あまりに熱が上がりすぎて、かえって自己治癒力がうまく発揮されないようなときに使うものでしょう。
「薬漬け医療」という問題が生まれてきてしまうところに、西欧医学(ひいては西欧近代)の問題点が潜んでいると言えます。
すべての問題を「解決」してはいけない、というのはこういうことだと思います。
西欧医学はある意味で「よく効く薬」ですから、とても便利です。で、ついつい使ってしまう結果、目先の痛みは取り除けるのですが、身体全体としての治癒力はかえって低下してしまう、というわけです。
教育をめぐっては、理想論と薬漬け医療が結びついて大きなうねりを形成しているように見えます。
その中で、「臨床」という視点、それに「自己治癒力」というふたつの視点が、これから教育を考える上での重要なポイントになってくるような気がするのです。