2005年12月25日日曜日

光と影

この2年ほど情報システムの開発を担当していますが、来年の本格導入を控えての大工事のため、この3連休は休日出勤です(正月を除いて、2月まで毎土日ごとに工事はつづきます)。

平日はネットワークを止められないので、そういうスケジュールにならざるを得ないのです。


平日の円滑なシステムの運用のために、世の中のシステム担当者はみな休日か深夜に仕事されているのでしょう。かと言って、平日に休めるかと言うと、トラブルは平日・日中に起こるものであって、それを休日・深夜に直すわけですから、世のシステム担当者はいつ休んでいるんだろうかと心配になってきます。


残業が多いことで有名な広告業界も、最近は役所の指導がきびしいこともあって会社ぐるみ残業規制に乗り出していますが、システム担当者だけは別のようです。

今や多くのものがシステムの上に乗っかっていますから、しかたないんですね。


それにしても、システム化すれば問題は解決する、嘘のようですが、そう考えている人が私の会社でも多いようです。

これは光の部分だけを見た理想論ですね(○○すれば問題は解決してみんな幸せになれる。○○にはいろんなものを入れることができます)。


だから、ある日システムが止まると大騒ぎになります。とっくの昔に解決してごみ箱に放り込んだはずの問題が、また急に出現するからびっくりするのです。


「問題は解決などしない。それはいつもここにある。ただ見えなくなっただけだ」。


システムが問題を解決してくれる(これを私は理想論と呼びます)のではない、システムを使って「人間が」どう現実と渡り合っていくのか、そのことこそが問題なのだと思います。


教育もまた同じですね。

教育改革が問題を解決するわけではない。教育制度とは、いわばツールです。それを使って現実と格闘するための。教育改革とは、そのツールを取り替えようということにすぎません。


理想論において教育改革を叫んでいる人は、それが実現したあとも、ちっとも変わっていない現実(または別のかたちで現れてくる現実)に対して、新たな不平を持ち出すだけだろうという気がします。何故なら、システムが変わっても人間は変わらないからです。


教育制度がツールにすぎないならば、それはスタート地点でしかないはずです。

そういうことを現実主義と私は呼んでいます。