前の日記で私は、「独創性は個性よりもむしろ関係性(チームワーク)から生まれる」と述べました。その中で、「心配しなくても(画一的教育の中で育った私たちでさえ)十分個性的だ」とも言いましたが、さらに「個性」について掘り下げて考えるなら、私はこう思います。
そのコアには、個人の考え方、感じ方の傾向のようなものがまずありますね。
普通はこれをもって「個性」と呼ぶのかも知れませんが、私はこれと並んで「経験」を置きたいと思います。
ブレストの場で、参加者のチームワークに次いで意味をなすのは、この経験というやつです。同じ企業風土の中で育ち、いつも顔を合わせている仲間の間で決定的に異なっていて、豊かなアイデアの源泉となるのが「経験」です。
多分このふたつは相補的にはたらくのでしょう。前者(個性のコア)は後者(経験)によって磨かれ、後者は前者によってより豊かなものになる。独創性をめぐる議論において、私は経験のもつ重要性にもっと光を当てるべきだと思います。
問題は、教育に何ができるかです。
個性尊重教育において焦点となっているのは、前者(コア)でしょう。後者(経験)はその存在さえ十分認識されていません。
それでは、学校でもっと「経験」を重視した教育を行えばいいのか?
たとえば、卒業制作や文化祭などはとても有益だと思います。ただ、個性尊重教育はそういうものを見ようとはしていませんよね。個性のコアにだけ光を当てるかぎり、みんなで「画一的に」学ぶ経験には意味がないことになるからです。
たしかにそれには一理あって、学校という限られた空間で得られる経験には限界があります。何より経験は私的なものでなくてはなりません。
そう考えてくれば、いずれの面においても「独創性」を学校で養おうという考え方自体が転倒していると言えるのではないでしょうか。それは、学校で習うものではあり得ないのです。