2005年9月30日金曜日

時代の15年周期仮説

1

先日、博報堂生活総研が「時代の15年周期仮説」というおもしろ い考え方を提唱していました。

明治以降の日本を15年ごとに区切って見ていくといろんなことが見えてくるというもので、15年をさらに4つまとめた60年をひとつの時代と考えるというものです。


それによると明治維新から軍国主義の到来までが60年。太平洋戦争をはさんでバブル期あたりまでが60年。現在の私たちはバブル前後にはじまる第3の60年期の入り口に立っている、ということになります。

それぞれの60年期の中で細かく区切られた15年には意味があって、最初の15年はパラダイム変革期、次の15年は離陸期、次は量的拡大期、最後が質的深化期で、これでひとまわりした時代は次のパラダイムへと移っていきます。


それぞれの意味づけは次のとおりです。

  1. 「パラダイム変革期」は、その後の時代の価値観、考え方、進め方の提案がなされ、試行錯誤、取捨選択を経て次の時代の方向が示される。
  2. 「離陸期」は、新しいパラダイムの決定を見て、その方向に徐々に社会を進ませる。
  3. 「量的拡大期」は、社会の方向の行方が定まったことを受けて生活の量的拡大、満足を目指す。
  4. 「質的深化期」は、量的な満足を得た後、個々の納得できる方向を模索し、いくつかの方向に分かれゆく。

2

これを具体的に見ていくと...

たとえば、明治維新(1968)からのパラダイム変革期は、廃藩置県(1871)や義務教育の開始(1872)、自由民権運動といった新しい流れを生み出していくとともに、西南戦争(1877)を最後として残存する武士勢力が一掃された15年でした。

次の離陸期は憲法発布(1889)、議会の召集(1890)から日清戦争(1894)の勝利をもって日本が世界の帝国主義の仲間入りをした時代。

つづいて日露戦争(1904)をはさんで第一次大戦頃(1914)までの量的拡大期は日本の存在感が世界の中で拡大していく時代です。

最後に、大正デモクラシーにはじまり満州事変(1931)に終わる質的深化期。


次の60年は、満州事変にはじまり終戦(1945)とともに終わる軍国主義の15年(パラダイム変革期)、戦後の闇市から朝鮮特需を経て、高度成長にいたる離陸期、東京オリンピック(1964)、大阪万博(1970)を経て石油ショック(1973)で終わる量的拡大期(高度成長期)、そして祝祭の80年代を経てバブル崩壊(1991)までの質的深化期というわけです。

3

もとより目盛りのない時の流れにあとから定規を当ててみているわけですから、あまり実体論として捉えてしまうのは考えものですが、それでもこの仮説はいくつかの面白い視点を私たちに与えてくれているように思えます。


たとえば、この仮説に従えば、現在の私たちはバブル崩壊とともにはじまった新しい60年期の最初の15年(パラダイム変革期)、それもそろそろ終わろうとしている15年に居合わせていることになります。「失われた10年」の後いくつかの改革が進行中ですが、はたしてそれは次に来る「離陸期」にふさわしい準備となっているかどうか、そのことがこれから問われてくるのでしょう。


また、15年ごとのユニットに区切ることで、その時代の特徴や歴史の中での意味を、それが何年頃に起こったことかという年代感覚とともに頭に入れられるのは、歴史を学ぶうえでとても有益なことではないでしょうか。現代史は、中学でも高校でも早足で通り過ぎてしまいますから、なおさらですよね。


しかし、何より私にとって面白かったのは、第二の60年期が軍国主義とともにはじまっている、ということでした(目盛りの置き方の問題ですけどね)。


ふつう私たちの頭の中で、あの時代は明治維新とひとまとめにして「ひとつ前の時代」として歴史の向こう側に押しやられているように思います。ところが、あの時代にはじまったパラダイムの中についこのあいだまで私たちはいたのだとしたら…。ちょっと歴史観が変わってきますよね。


そうしてみると、今その次のパラダイムに入った私たちはようやくあの時代の影から脱したということになるでしょうか。昨今、憲法改正が話題に上るようになったのも(いいか悪いか別にして)必然的な流れなのかもしれません。


ともあれ、いろんな意味で考える材料を提供してくれる仮説ではないかと思います。