2004年6月7日月曜日

親のエゴ

「担任の先生にテレビを見せないのは親のエゴ、クラスの友達と話が合いませんよ。テレビからも学ぶことがあるし、実際に年齢より幼いです」と言われた母親がいます。


「親のエゴ」って、とても気になる言葉ですよね。
聞いてしまったら最後、勇気を振り絞って「エゴじゃないよね? ちがうよね?」と自己確認せずにはいられなくなってしまう。
そんな抑圧性がこの言葉にはあります。


しかし、「エゴ」かどうかが問題なんじゃない。「エゴかどうか」が問題にされること自体に問題があると言ってもいい。


「子供至上主義」がそこには見え隠れしていると思うのです。


そもそもヨーロッパで「子供」という概念が生まれたのは16世紀だったと言います。じゃあそれまでは子供はいなかったのか?
それ以前のヨーロッパでは、子供とは単なる「小さな人間」に過ぎなかった。大人と同じように労働を分担していたようです。ついでに言うと「家庭」という概念も近代ヨーロッパ以降の概念です。大家族主義の時代に「家庭」なんてありえませんからね。


何もその時代に戻ろうと言ってるわけではありませんし、戻れるわけもありませんが、
現代社会を一度相対化してみることはできると思います。
現代とは「子供がとても大事にされる時代」だという風にね。


「子供を大事にするのはいいことだ」と誰もが考えます。私とてこのことを否定する気はありません。しかし、だからこそ逆に恐いのです。
子供を大事にすることで子供をダメにすることもあります。むしろ苦労した方が人はよほど成長することがある。言い古された言葉ですが「可愛い子には足袋をはかせろ」、ちがった(笑)、「可愛い子には旅をさせろ」という言葉の意味をあらためて考えてみる必要があるかもしれません。


人間はみな「エゴ」で生きています。
ことさらに「親のエゴ」が持ち出されるのは、「子供至上主義」が現代社会に芽生えつつあるからではないでしょうか。「親は子供のためにすべてを捧げるのよ」みたいな意識がどこかあるように思います。
親は、自分の人生を大事にしながら、自分が思うように子供を育てればいいのだと思います。
それがうまく行くこともあればいかないこともある。ただそれだけなのだと思います。それでも大抵の子供はきちんと自立していくのではないでしょうか。


要するに「自信持って、気楽に子供を育てましょうよ」というのが私の言いたいことです。



...ちなみに、この「エゴ」という言葉、おそらくフロイトあたりに起源を持っているんじゃないかと思いますが、だいたいフロイトの精神分析用語というのは安易に振り回すととても危険な場合があります。
「逃避」っていう言葉もありますね。
これも自分で「逃避た~いむ!」(笑)なんてやってる分にはいいですが、これほど人から言われて嫌な言葉もありません。「逃避」なんて人間の実に自然な心の動きのはずなのに、「逃避」と言われた瞬間にどこか罪悪感が伴ってしまう。


こういう言葉を乱用することによって、私たち自身がこの社会をますます住みにくく、抑圧的にしているような気がしてなりません。